2015年01月22日

本物の実力をつける大切さ

センター試験・センターリサーチが終わり、国公立組の志望校がほぼ確定しました。

予定以上の点数を取れた生徒、予定に届かなかった生徒、届いたはずなのにセンターリサーチで予定外の結果が出た生徒など、毎年ながら心臓に悪い季節です。

松明塾としてのトップは堂々のトータル84.1%でした。

この結果は正直すごい。筑波あたりまでなら確実にA判定をもぎ取れる数字です。
下手したらあと10年くらいこの数値を破る奴はでないんじゃないかと思います。

そんなセンターを終えていつも思うことがあります。

「やっぱりちゃんとした実力をつけるしかない」

ということです。

今年のセンターでは英語の出題形式に大きめの変化が見られました。

難易度自体は昨年よりもやや下がったと思いますが、形式の変化への動揺、何を問われているかの読み取りなどにかける時間が増えた分、全体の難易度はプラスマイナスゼロといったところでしょう。

しかし難易度はプラマイゼロでも、結果は驚くほど変わります。

傾向が変わるということは、事前の「対策」が効かないので「素の実力」での勝負になるということです。

センターにかかわらず、高校入試でも大学入試でも、過去問を元にした傾向別の対策を直前に行います。

その結果、良くも悪くも「実力以上」の結果が出てしまうことは珍しくありません。

試験の点数とは、単にその教科の実力を示すものではなく、

素の実力+形式に応じたアウトプットの技術

なのです。

そのため、後者の「技術」で底上げをされた点数は、今回のように形式が変わった場合にはいとも簡単に履いていた下駄を脱がされることになります。

もちろん、うちの生徒の中にも下駄が脱げてしまった生徒がいます。

一方、冒頭にあげた生徒はこれまでの過去問対策の期間も含めて過去最高の点数をたたき出しました。

4月の時点では「クソみたいな英語力(本人談)」でしたが、ちゃんと実力をつけたのでしょう。

だから、やっぱりちゃんと合格するためには「素の実力」をつけるしかないのです。

そんなことを毎年思うのに、それをやりきることができない要因は大きく2つあります。

1つは現実的な時間のなさ。

入試は締切の明確な勝負ですから、それが足りないなら下駄をはかせてでも何でも点数を上げに行かないといけない。

その場合、今回のように下駄を脱がされるリスクはあるものの、履かないと間に合わないのだからそれにかけるっきゃないということになります。

もう1つは「生徒」「塾」の双方がどこかで持っている「華麗な急成長」という幻想です。

当然ながら僕にもあります。

成績の悪い子を、華麗な授業とカリキュラムで別人に成長させる。

そんな指導に憧れないはずがありません。

もちろん、生徒だって同じです。

有名な講師や、講師自身の実績に惹かれて講師を選ぶのは、そういう人に習ったら自分も同じようになれるかもしれないという淡い期待のなせるわざでしょう。

そういう、生徒・塾双方の「あこがれ」が、「素の実力養成」という地味でつまらなくて時間のかかることを敬遠させてしまいます。

そしてたちが悪いことに、そういう気持ちから出た華麗な指導が当たってしまうことが少なからずあるのです。

あんなに伸びたやつがいる。

あんなに伸ばした講師がいる。

あいつをここまで伸ばした俺はすごい指導力を持っている。

こうやれば、同じようなバカな奴でも同じように凄いやつに伸ばせる。

残念ながら、全部幻想ですね。

なぜならその横には、そのやり方でまったく伸びずに涙をのんだ受験生が必ずいるからです。

それを無視して自分の指導に酔えるような奴を、僕は同じ塾屋として認めたくありません。

かといって、成績が悪いやつに頭から見切りをつけたり、己の極めて限定的な経験則から「無理だ」という判定をする人間も、やはり塾屋として認めたくありません。

だからこそ、ギリギリのギリギリまで、ちゃんと素の実力をつけにいく。

地味でつまらないことを、いかに前向きに、全力で、達成感を感じながら続けられるか。

そこにこだわりを持てる塾にしていきたいと思います。

もちろん、今年も僕は最後には生徒に下駄をはかせるでしょう。すでに時間が足りないことが見えている生徒が現実に存在するからです。

時間の足りなさだけは正直どうしようもない。

でも、いつかはこの「時間の足りなさ」なんていうヘボな言い訳をせずにすむ指導を確立したいと思います。

具体的には再来年。

今の高校1年生たちが受験生となる年がその年になるはずです。

以前にも書きましたが、高校1年からやっている生徒は本当に強い。反則みたいな強さです。

だって、隣で高校2年がことごとく間違える問題を、みんなスコーンと解いていっちゃうんだから。

夏ごろにまいた種が見えないところでどっしりと根を張って、そういう太い根っこを背景に隠し持った芽が出始めた感があります。

というわけで、これを読んでる高校2年生。

お前らは、ギリギリのギリギリまで「素の実力」にこだわっていくぞ。

それでも足りないところがあるようなら、最後は思い切って下駄履いてダッシュだ。

そんで1年生。

お前らは、ちんけな実力はつけさせない。目の前の点数や、偏差値は一切無視。

実力がないならちゃんと負ける。その反省をもとに、ちゃんとした実力をつける。そして、何が来ても素の実力で勝ち切る。

そういうゴリゴリの王道で勝負しにいくぞ。

センターが終わって、次の入試まで残り丸一年。

全然華麗じゃない、泥臭くて地道な努力で、最後に全員で笑おう。
posted by たいまつ at 01:52| Comment(0) | 指導方針

2014年12月28日

受験勉強は高校2年から

前回、2回くらいにわたって「高校1年生がむっちゃ重要」ということを書きました。

今回は高校2年生について書いてみます。

この冬、松明塾では松高吹奏楽部の生徒が勉強に来ています。

きっかけは1ヶ月ほど前。

クリスマスコンサートのスポンサーになって欲しいとの依頼を受けたことでした。

松明塾は松高の文化祭、応援団の紫薫の集いなどのスポンサーとして広告を出していますが、その都度、条件として生徒に「頑張って勉強すること」を科しています。

本来、お金というのは労働の「対価」として受け取るものです。

頑張っている高校生を応援してお金を出してあげるのもいいかもしれませんが、そういう考えはあまり好きではありません。

だって、他の部活の子だって頑張ってるし、うちの塾生はお金を「払って」頑張って勉強しているわけです。

そして、スポンサーとしてお金を出すにしても、そのお金は100%生徒からいただいた月謝の中から出ていきます。

頑張って勉強する生徒からはお金を貰い、頑張って演奏する生徒には無条件でお金をあげるって論理的におかしいな…と思うわけです。

最初は全員でうちの塾の掃除でもしてもらおうかと思ったのですが、それではただのアルバイトになってしまう。

なので、条件はやっぱり「頑張って勉強すること」にしました。

匿名でいいので、部員全員の中間テストの点数と期末テストの目標点を持ってくること。

ちゃんと目標を達成したらスポンサーになる。

未達成の場合には冬休みの間に松明塾で特訓する。

12月23日に無事コンサートが開催され、私もスポンサーとして見に行きました。

塾生に吹奏楽部の生徒はいませんが、余興で応援団の塾生が出てきたり、当日の司会を同じく塾生の松女の生徒がやっていたりと、塾外での生徒の姿が見えるとても有意義な時間でした(もちろんコンサートもとてもよかったです)。

テストの結果はもちろん全員目標達成!…ともいかず、目標に届かない生徒もいましたが、皆頑張ってテスト勉強をした後が見える点数でした。何人かはびっくりするくらい点数アップしていて驚きました。

おもしろいですね。塾に通わなくとも、ちゃんと目標を立てて、(動機はスポンサーのためかもしれないけれど)本気で勉強するだけでこんなに点数が上がるんです。

やっぱり勉強は授業云々より前に、「目標」と「本気」という二軸が本質だなぁとしみじみ思います。

何時間勉強しようが、どんなに良い授業を受けようが、気持ちがついてきていなければ恐らく成果は微々たるものでしょう。


それは今回の「約束」にも同じことが言えます。今回目標に届かなかった生徒を「強制的に」塾に来させても何の意味もないだろうなぁ…と。

コンサートを終えて、そんなことを思いました。

そこで、吹奏楽部の生徒たちには、

「目標に届かなかった生徒も無理して来なくていいよ」

と伝えました。ただ、やっぱり勉強に課題を感じていて、頑張ってみたいと思う生徒は遠慮無く来なさいとも。

そんな流れで、高校2年生たちがこの冬に勉強していますが、非常に筋がいい。

何より、今やっていることは、今年の高校3年生が高3の4〜5月に必死にやっていたことです。

恐らく、このまま行けば来年の2月くらいには全てやり終えるでしょう(そこまでは面倒見ませんが)。

このアドバンテージは非常にでかい。

いま、直前期の高校3年生を見ていて心から思うのは、

「あと1ヶ月でいいから時間が多く欲しい」

ということです。

今年の高3は本当に良く頑張っていると思います。でも、ギリギリです。

このギリギリの戦いにもう1ヶ月の時間が加われば、「安心」のラインに足を踏み入れられます。

もちろん、それを悔いても仕方がないので、このギリギリの戦いをいかに勝利するかに全力を費やすのですが、目の前の高校2年生たちを見ていると、

「こいつらどんだけ有利なんだ!!??」

と思ってしまいます。

何か特別な能力を持っているわけでも、特別な指導を受けたわけでもない。

ただ単に「早く受験勉強を始める」ということをしただけで、来年のこの子たちは、今の高校3年生が欲してやまない「1ヶ月のプラス時間」を軽々と手に入れることができちゃうのです。

先日ずっと書いていた「高校1年生が大切」ということを思うと、高2の今の時期から頑張るのは明らかに遅すぎます。

しかしその「遅すぎる高校2年生」でも、4月から始める高校3年生に比べれば有利すぎるくらいに有利になります。

目の前の高校3年生から、そして高校2年生から、「1ヶ月の時間の重み」を教えてもらった気がした年末でした。


posted by たいまつ at 15:34| Comment(0) | 指導方針

2014年12月20日

高校1年の勉強が3年間で一番大切A

前回に引き続き、高校1年の勉強について書いてみます。

教科に関係なく、基本的に勉強は全て「積み上げ」です。

よく、英語や数学が積み上げ教科の代表としてあげられますが、他教科でも多かれ少なかれそういう側面はあるでしょう。

とはいえ、やはり英語と数学の「積み上げ要素の多さ」はやはり他教科の比ではないのも確かです。

しかし、実は英語や数学以上に重要な「積み上げ」があります。

それは、勉強姿勢と勉強方法です。

成績というのは残酷で、「勉強時間」と「成績のアップ」が必ずしも比例しません。

「英語は伸びてくるまでに時間がかかる」とかそういう話ではなく、どれだけ待っても一向に成績が伸びてこないということが現実にありえます。

たとえば野球の素振りをするときに、相手ピッチャーをイメージして、自分のスイングを考えながら1回1回の素振りをしている生徒と、ただ何となく素振りをしている生徒では、同じ回数の素振りでも長い目で見ると大きな違いがでるでしょう。

前者はうまくなるための「練習」をしているのに対し、後者は手を動かすという「作業」をしているに過ぎません。

勉強も同じです。

教科の内容を「勉強」しているつもりが、現実的にやっているのはただの「作業」であるケースが散見されます。

そして、上の学年の生徒ほど、この「作業」を「勉強」と勘違いしている人がたくさんいます。

別に犯人捜しをするつもりはないし、極力学校の批判はしたくないのですが、僕はこれ学校の先生に責任があると思っています。

特に松山高校の先生方の中には、「作業」をさせたがる先生が非常に多い。

英文法の例文を書き取って提出させる。

数学のわからなかったところを赤ペンで書き写して提出させる。

これに何の意味があるのでしょう。

本当に例文を覚えて欲しいのなら1回書いたところでどうしようもないですし、赤ペンで解答を書いたら考え方が理解できるなんてことは天地がひっくり返ってもありません。

これらはただ「勉強らしきことをやった形跡・証拠」を残すためだけのアリバイ作りです。

本当に身につけさせたいなら「成果」で判断し、ちゃんとできるまで部活があろうが何だろうがひたすらできるまでやらせなきゃ仕方ないです。

逆にそこまで持っていくつもりがないなら、そもそも課題なんて出さなきゃいいんです。だって子どもたちの時間を奪うだけですから。

1時間分の課題をやる − 成績があがらない

1時間たりとも課題をやらない − 成績が上がらない

前者は成績も得られず、1時間という時間まで失っています。

後者は成績はえられませんが、1時間という時間は確保できます。

このどちらかならまだ後者の方がマシです。

これは、「おつりの返ってこない自販機」と考えればよいのかもしれません。

120円を入れて初めて「ジュース」という成果が手に入るわけです。

120円に満たなければ、10円でも50円でも110円でも、結局ジュースは手に入りません。

だったら、120円まで入れるつもりがないなら、1円たりとも入れない方がマシなんです。

「いやいや、そうはいっても1時間分やってるんだからマシじゃないか」

という人もいるかもしれませんが、そうではないのです。

このことの本当の弊害は、1時間を失うことではなく、子どもたちにとってそのような作業=勉強という価値観ができあがっていってしまうことなんです。

これが本当にキツい。

高校1年生というのは、言ってみれば新入社員と同じ。

そこで教わったことが、自然とその人の「常識」になっていきます。

ましてや、それを高校1年、2年とずっと続けてきた生徒たちは、まさにその「作業」を「勉強」と勘違いし出します。

その結果が冒頭にあげた「どれだけやっても成績があがらない勉強」です。

そりゃそうだ。みんな勉強せずに作業してるんだから。

そしてこの「勉強に見せかけた作業」は、無意識にやっている分だけ非常に根強く残ります。

また、現実問題として、ちゃんと思考し、反復し、できるまで粘る勉強の方が辛いのが当然ですから、「逃げ」の気持ちも相まって、気がつくと直したはずの「作業」に逆戻りするケースが散見されます。

ですから、高校2〜3年生を指導する最初の数ヶ月は、教科云々の話ではなく、この「染みついた作業癖」との戦いなんです。

それも、直して戻って、直して戻ってを繰り返しながら、じわじわと修正していかねばなりません。

生徒によっては半年以上もこんなことを繰り返す人もいます。

しかし、ここに唯一の例外があります。

それが、早い時期から通ってくれている高校1年生たちです。

この子たちは、最初の「常識作り」の段階で、作業は勉強ではないことを徹底的に体感しています。

そのため、そういう勉強姿勢・勉強方法が当然だと心得ているので、そもそも無理して修正する必要がありません。

というよりも、子どもたちの中には、そもそも「作業」=「勉強」という価値観自体が存在しないのです。


このアドバンテージは非常に大きい。

これからの教科的な積み上げの質が根本的に他の生徒とは違いますし、他の生徒が必要とする「修正期間」も不要ですから。

高校1年生から、正しい積み上げ姿勢・学ぶとはどういうことかに関する常識を身につける。その常識の上に、着実な積み上げを行う。

高校1年時に作業を勉強だと思い込む。そのまま作業を続けるので知識が積み上がらない。受験時には、それらの積み上げ損なった全ての復習と、それ以前の問題として染みついた変な癖の修正を数ヶ月かけて行う。

この違い、あまりに大きすぎると思いませんか。

僕は心からそう思います。

だから、高校1年生の勉強は、教科的な土台としても、勉強方法・勉強姿勢の土台ととしても、3年間で一番大切だと思うのです。


タグ:高校1年
posted by たいまつ at 23:50| Comment(0) | 指導方針